webペーパーおまけSS008
恋のない結婚
先輩から結婚しようと言われた。
私と先輩は恋人同士ではない。付き合おうという話をしたこともない。青天の霹靂だった。
たしかに先輩とは高校の時から仲がいいしよく話す。この前もふたりで飲みに行って、このまま独身だと周りも面倒だしいろいろ困ることも出てくるという話もしていた。
でも、それにしてもだ。先輩が私のことを恋人にしたいという素振りを見せたことはないし、私も先輩ののことを恋人にしたいと思ったことはない。
それでも当然のように、結婚しよう。と言った先輩のことを不審がっていると、先輩はすこし困ったように笑ってこう言った。
「あ~、何の説明もないとそうなるよな。
俺がおまえと結婚したいと思った理由は、おまえとなら恋仲にならなくてよさそうだからだよ」
それを聞いてどういうことだろうと思った。
正直言えば、私は今までもこれからも恋愛というものはしたくない。むやみに感情を乱されるのが嫌だし、なにより異性だろうが同性だろうが性的な関係を結ぶのも嫌なのだ。
だから、私なら恋仲になる必要がなさそうだという先輩の根拠は、歓迎できるものではある。でもそれだけでは結婚する根拠としては弱い。
「他に理由はないんですか?」
私がそう訊ねると、先輩は淡々とこう答えた。
まず、今回の結婚しようという提案は、あくまでも今後生きていくための相棒として、私と契約を結びたいというのが主な理由のようだった。
ただ相棒になるだけなら結婚する必要はないのだけれど、今後お互いになにかあったときのために結婚しておいた方が、行政システムを有利に使えるから。とも先輩は言った。
先輩がまた困ったように笑う。
「おまえがいやだって言うなら、無理にとは言わないけどさ」
肩の高さに両手を挙げる先輩を見て、今までの先輩の振る舞いを思い出す。
高校時代から、いつも困っている人を放っておかずに、でも恩着せがましくなく周りを気遣っていた。
大学時代はすこし疎遠だったからわからないけれど、同じ職場になってからは、少なくとも他の人にハラスメントをしたりしていないし、むしろさりげなくかばっていることも多い。実際のところ、先輩はなにも言わないけれど私も何度か助けられている。
先輩はいつも飄々としてて、誰にでもそんな下心を持たずに接している。恋仲になって気分の盛り上がりをたのしみたいという希望がないのであれば、一緒に暮らすのにこれ以上安全な人はいない。
私は誰かに恋をして、無駄に心を疲弊したくない。そしてきっと、先輩も同じだ。私たちは誰にも恋をすることはない。
そこまでわかっても、結婚すると決断できない。如何するか決めるためには訊きたいことがあった。
私はそれを先輩に訊く。
「先輩は、私のことどう思っていますか?」
もちろんこの質問にときめきは伴わない。
冷静に先輩を見つめていると、先輩はいつものようににっと笑ってこう答えた。
「もちろん、信頼できて大切な後輩だよ」
胸の中でなにかがすとんと落ちる。そうであってほしいという、希望通りの言葉が返ってきたのだ。
「でも、恋人としては見れないし、おまえもそうだろ?」
先輩が続けた言葉に、私もいたずらっぽく笑って返す。
「わかってんじゃん」
遠慮のない私の返事に、先輩とふたりで笑い合う。
「だからこれから先、一緒に生きたいと思った」
笑いながらそう言う先輩の背中を私が叩く。
「わかった。結婚しよう」
ああ、先輩とならこれから先うまくやっていける。結婚して一緒に暮らしてもいい。そう思えた。
たとえ他の人には理解されなくても、私と先輩はかけがえのない相棒だ。